I am 〜わたしの生き方〜

患者になってわかったこと、日常での気づきなど

生きているだけでいい

約1年前、自宅で倒れて意識不明となり救急搬送されたのち、生死をさまよった。

目が覚めたとき、体は浮腫み全身どこも動かず、あちこち何本も管が繋がっていた。

挿管による人工呼吸の処置は自発の弱った呼吸とかみ合わず、ひと呼吸ごとにとても苦しかった。

大きな病院の集中治療室であらゆる処置を施し、数日経っても意識が戻らないとき、医者からは「生きるか死ぬか五分五分」と言われていた。

家族はもちろん、遠方から両親や妹達も駆けつけていた。

当の本人はそんなこととは露知らず、ずっと体調不良が続いていても「我慢すればまだもう少し、なんとかなるだろう」と病院には行かず行きたい場所へと出歩いていたので、倒れたことで「やってしまったな」というところ。

死にかけているなど思いもしなかったし、死ぬつもりは全くなかった。

 

一週間後、意識は戻った。

ピクリとも動かない身体を、すぐに受け入れることはできなかった。

「冗談でしょ?ちゃんと目覚めればいつものように起き上がれるにちがいない。みんな演技でもしているの?」

まだ夢の中にいるのだと思った。

どうやら現実だとわかってきたとき、自分でも意外な感情が湧いてきた。

 

「やった!何もしなくていいんだ!」

「ただ、生きているだけでいいんだ‼︎」

 

生きているだけで、涙を流して喜んでくれる人達がいる。

それは至福をともなう、人生での大きな発見だった。

それを裏付けるようにその後、痛いことも苦しいことも気に入らないことも思うようにいかないこともたくさんあったけれど自分でも驚くほど、落ち込むことも塞ぎ込むことも全くないまま、時間をかけて再び立って歩けるようになった7ヶ月の入院生活(最初の4ヶ月は寝たきり)だった。 

 

この体験は私に大きな変化をもたらした。

これまでも楽しんで生きてきたつもりだったけれど、以前とは比べものにならないほど生きるのが楽になった。

腎臓の機能を失った代わりに得たものは、とてつもなく大きかった。

身体障害者1級の透析患者になったけれど、同時期に受け取った目には見えないギフトは、驚くほど素晴らしかったと本気で思っている。

 

大きく息を吸って吐き出せることも、自力で歩けることも、当たり前ではなく有り難いと実感できる幸せ…

これらも受け取っているギフト。

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また森を歩こう。