弱い自分も表現する
昨年12月にふと思い立ち、申し込んで届いた私へのメッセージ
☆☆☆
胸の痛みと共に、進みなさい。
その痛みを無いものとするのではなく、
もう立ち直っているふりをするのではなく、
まだ、胸が痛むけど、
それでもなお、
自分が本当に望む未来に向かって
一歩一歩歩んでいきなさい。
弱くていいのだ。
立ち直っていなくていいのだ。
そんな情けないと思われそうな
自分であることを
ただそのままに身体で感じ、
受け入れていくこと。
やがて身体からふっと、
「あ、終わった」という感覚が起きる
その時まで、
痛みも自分の大切な一部なのだと
受け入れ、感じてあげなさい。
ハツラツと元気よく歩まずとも、
一歩一歩の歩みにより、
その道を少しずつ進んで行くから。
☆☆☆
理由なく湧いてきた涙が、私自身が求めた言葉であることをわからせてくれた。
同時に、具体的に何ということは思い浮かばないのに「それでもいいんだ」と、肩の力が抜けてホッとする自分がいた。
平気なふりして、我慢して生きていた自分。
ずっと「何くそ!負けるもんか!」と、どこか弱音を吐かず、意地を張り、頑張ってきたような気がする。
そうしないと負けだし、誰も助けてくれやしない。周りに迷惑かけたり嫌われるだけだからやってはダメ、と思っていた。
しかし、メッセージを受け取ったことで
「弱さも見せていいんだ!痛いとか怖いとか、辛さや寂しさ、悲しみも表現していいんだ!」
と初めて思えて、その瞬間から、素直に表現するよう意識していった。
するとあるとき…
「痛みや恐怖を感じたときに、我慢して全く表に出さなかったり、即座になかったことのようにやり過ごすのは、私に対して失礼だ‼︎」という気持ちになった。
本当はすごく痛かったり、怖かったり、嫌なのに、平気なフリをするのは自身に対して嘘つきだったし、私自身を無視した行動だったと気づいた。
少なくとも私だけは、私自身に寄り添い続ける…ずっと。
気づけてよかった。
岡田哲也さんの
【ダレカからの一言メッセージ】