I am 〜わたしの生き方〜

患者になってわかったこと、日常での気づきなど

自分しかいない

こじんまりと、ワークショップの主催と参加が久しぶりにできて、ここ最近の週末とは異なるハイレベルの充実感を得た

 

もう‘楽しい’と‘ワクワク’でしか動けない我が身

 

長いお勤め生活を辞めて何年経っても「仕事」という言葉に縛りや窮屈さを感じて苦しくなっていたけれど、今やれていることがお仕事になるのなら喜んでできる

 

 

癒しを求めて

機嫌とって欲しくて

助けて欲しくて

救われたくて

幸せになりたくて…

 

叶えてあげられるのは自分だけ

自分しかいなかった

 

もっともっと自分を自由に、楽にしてあげよう

 

 

セッション再開しました

 

ボイジャータロット

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勾玉セラピー

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自分に気付くツールとして活用してみては…

 

あらたな発見があるから

 

いま描ける最高の未来を思い出せるから

 

 

〈今月の日程〉

8/18、8/24、8/29

セッション受付中

 

忘れないように思い出す

去年の今頃は、まだ口からの食事も取れず経管栄養、呼吸器、カテーテル、抗生剤点滴など、たくさんの管につながれ、起き上がるどころか寝返りもできず、窓からの景色だけが、見ることのできる唯一の外の世界だった

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一年経って、もう忘れかけている

いいのか悪いのか

本当に?誰のこと?

そう言いそうになるくらい、自分の事ではないかのように

 

呼吸ができること

立てること

歩けること

ご飯が食べられること

トイレに行けること

話せること

スマホが打てること

痛いところがないこと

苦しいことがないこと…

 

何もかもが本当はあたりまえではないことを

元気になった今もこれからも、ときどき思い出せる自分でいたい

 

何もしていなくても、有り難い今を生きられている幸せを実感できるから

 

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メイクしてちょっとお出かけするだけでもワクワク♪

歩ける距離が伸びて嬉しい

 

 

我が家の周辺は、まもなく雪⁈

AM6:00

「無性に朝食が作りたい」と唐突に

テスト期間中の息子

コンビニにベーコンを買いに行った

 

各部屋で寝ている家族ひとりひとりに

「食べる?」と声をかけてから調理スタート

 

AM6:30

全員が起きて席につき、一緒に食べた‼︎

 

いつも平日の朝食はバタバタで、それぞれ準備でき次第

休日は部活がないと昼まで起きてこないのに…

 

真夏に雪が降るぐらいの奇跡‼︎

 

テスト勉強しすぎで何かおかしくなった⁇

 

息子の得意料理

ベーコンエッグトースト

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半熟加減のこだわりが絶妙

4、5年ぶりかな?

 

作ってもらう朝食は最高‼︎

おいしかった〜〜幸せ♡

 

夏至の振り返り

昨年の夏至は、オパのセラピストになるための講座受講で佐賀県唐津にいた。

体調は非常に悪く、もう固形物は何も食べられず、ずっと座り続けていることも困難な状態だったが、人気の講座で何ヶ月も前から決まっていたし、体調不良は事前に知らせていたが受け入れてもらえたし、「唐津には絶対に行く」と自分の中で決めていたところもあった。

 

講座の1日目終了後の就寝中、記憶にある中で最も怖い夢を見た。

 

何人かの知り合い達が野外で和気あいあいとしている。

私も同じ場所にいるが誰とも喋っていない。

そのうちみんなが1人、2人とどこかに行ってしまい、自分が最後の1人になってしまう。

みんながどこに行ったのかわからない。

突然、不安と恐怖が押し寄せる。

そこへ冷たい風と共に黒い魔物のような存在が現れ、逃げても追いかけてくる。

恐ろしくてたまらない。

途中でこれは夢だと思い、起きようとするが布団の上に何かが重く覆いかぶさっているようで身動きができない。

ついには、隣で寝ている同室の友人の名を大声で呼び、その自分の声で本当に目が覚めた…

 

とてもリアルに恐怖を感じた夢だった。

 

夢の中で私は、周りに人がいても自分は1人で、誰も頼ることも相談することもできず、どうしたらいいのかわからないことが、追いかけられるより前に不安でたまらなかった。

その不安や恐怖が形となり、恐ろしい魔物となって襲ってきたような気がする。

 

自分は1人だということ、孤独感は子供の頃から強く持っていた。

5人家族で父と母はペア、一卵性の双子の妹達は言うまでもない。そして、私だけが1人。

学校でも大人しい一匹オオカミタイプ。

特に寂しいわけでもなく、そんなものだと思っていたし、1人を持て余すこともそれほどなかった。

結婚して、そんなことを考えることはなくなったが、自分が1人である感覚がなくなったわけではなく、むしろ強まっていた。

今でも誰にも邪魔されない1人の時間は安らぎを感じるし、全くないと辛い。

 

大人になるほどに孤独感は薄れ、1人を楽しむ行動へと変化していったが、まだ何をどうしていいかわからず心細かった子供の頃の不安や恐怖は、自分の中の奥の方にしまいこんでいて、ずっとあったのかもしれない。

 

怖い夢は、何らかの浄化作用により顕在化し解放するときに見ることがあると聞いたことがある。

無意識に持ち続けていた恐れの感情は、あの夢をきっかけに私の中から浮上し、ついには手放すことができたのだろうか。

 

あの夢の後、私は意識不明で寝たきりになったが、嫌がって避けていた透析を急にすることになっても、呼吸が苦しくても、全身の皮膚や爪が剥がれ髪が抜け落ちても、何ヶ月も不自由で動けない体のままでも、落ち込むことも鬱々とすることもなく、弱りきった身体とは裏腹に、精神は健全でエネルギーに満ちていた。

 

それはすでに、不安や恐怖を大きく手放していたから、と言えるかもしれない。

 

最も長いときを明るく照らす夏至の強い光が、私の中の暗がりだった場所にも届いて照らし、日に晒し昇華してくれた…

今、思い返してみると、そんな解釈になる。

 

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正解なんてわからないから、そう思っておこう。

 

これからも私の中に滞る私ではないものを見つけては手放す、それを意識して繰り返し続けるのだ。

より元気な体に戻るためにも。

 

このときの経験から、不測の事態が起こったとき「わからないけど何とかなる」とは、以前より明確に言えるようになった気がする。

やりたかったらやってみる

体調がどんどん悪くなり、いろんなことができなくなってきた時期も、バイオリンだけは倒れる直前まで続けていた。

体調をも考慮してレッスンしてくれる先生だからできたことで、ハーモニーを奏でることで何かが整い、身体が少し楽になった。

 

入院中、5月に発表会があると聞いたとき、

退院も近い時期だったこともあり

「出たい!」と強く思った。

弾きたい曲もすぐに浮かんだ。

 

7ヶ月の入院生活が終わり、自宅での生活が少し落ち着いた頃、久しぶりに弾いてみようとバイオリンを持って構えただけで、身体のあちこちが痛んだ。

弾き始めてたった3分足らずで、もう疲れて弾けなくなった。

立って弾くとすぐヘトヘトになる。

 

それでも本番までには間に合いそうだと、自分の中でおよその見通しがついた時点で、正式に発表会への参加を決めた。

 

当日は、出番に備えてできるだけ体力温存を心がけた。

久しぶりの舞台に、手はこわばり足は震え続けていたけれど、決して完璧な演奏ではなくても、弾きたいイメージにいくらか近づいた演奏ができた。

 

FBに動画を投稿する際、痩せ細り髪も肌の様子も以前と変わってしまった自分を見せることへの躊躇もあったけれど、

「これが今のわたし。生きてるからね。」とばかり、開き直って投稿したところ、多くの‘いいね!’と、素敵なコメントをたくさんいただけて嬉しかった。

 

演奏した動画を見返すと、あやういところも含めて愛おしい。

「知らなければ、数ヶ月前まで立つことも歩くこともできなかった人が弾いているとは思わないだろうな。」と考えると、なんだか愉快な気持ちになる。

 

何だって、やりたかったらやってみればいい。

自分にやらせてあげたらいい。

やらなかったら後悔だけ。

やってみて、もし失敗しても後に活かせる貴重な経験であり、興味深いネタになる。

失敗して死にそうになっても、本人次第でそうそう死なないというのが、体験してみての実感。

 

得意なことではなくても、好きでやりたいことは、やってみた方が絶対にいい。

 

やってみる勇気から、思ってもみなかった境地に導かれ、世界が広がる。

 

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まだ元気いっぱいだった2017年11月、熱田神宮に舞を奉納する舞い手として、奉納舞の一員となった。

合宿形式での特訓を含め、またとない機会に恵まれた貴重な経験だった。

舞の経験も知識も何もなく「私にできるのかな?」と考えると不安になるので

「一員になれたのだから、美しく舞うことはすでに決まっている。」と信じ切って臨んだ。

本番では多くの方々に見守られ、有り難かった。

子供達は知っている

まだ寝返りすらできなくても自分の入院生活が半年以上にもなるとは思ってもいなかった頃、夏休み中だった息子と娘は、ちょくちょく病室に顔を出してくれた。

外は異常な猛暑にもかかわらず、気が向くとフラッとひとりで来て、何を話すと言う訳でもなく、そこそこの時間を同じ空間ですごした。

 

あるとき、息子がポツリと言った。

「(意識不明のとき)おかあさんは大丈夫、と僕は決めた。だから大丈夫だった。」

 

とても強力な祈りの力が込められた言葉。

有り難い。

子供達を不安にし心配をかけたのでは…と思っていた私の気持ちを払拭し軽やかにもしてくれた。

 

私が意識不明だったとき子供達は、周りの誰かが声をかけるまでいつまでも長い時間ずっと、ただ黙って私の手を握り続けていたそう。

 

普段から私は、子供達のことをあまり心配しないようにしている。

私の母が心配性で、何かにつけ心配を浴びせられ、それが母の愛情表現だとわかっていても、重苦しく決して嬉しくはなかったから。

また、起きてもいないよからぬことを、敢えて自ら想像することを好まないから。

それに彼らを信頼している。

だから様子を気に留めることはしても、心配はしない。

いつだったか、友達と遊びに出かけた娘の帰りが遅かったときも

「おかあさん、怒らないの?」と、娘の方が拍子抜けしていた。

 

そのかわりに毎朝、「いってらっしゃい」と送り出すと同時に、「彼らは大丈夫」としっかりと自分の中で決めている。

それがきっと彼らを護る見えない御守りになるから。

 

私がいつもこっそりやっているこの方法を子供達に話したことはなかったけれど、いつのまにか伝わっていて、お返ししてくれたみたい。

それとも、もともと知っていたのかな。

 

子供達からは教わることばかり。

 

普段は、iPadばっかり見てるし、ぐうたらで部屋はほぼ片付いてないし、機嫌悪いと暴言も吐く‘お姫様’と‘お殿様’だけどね。

 

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↑もう10年以上前になる…みんな海が大好き‼︎

 

今では息子に身長を抜かれ、娘に体重を越された。

未来の自分が教えてくれる

数ヶ月の寝たきり生活が続く間、全く落ち込んだり悩んだり塞ぎ込んだりすることがなかったことは、自分でも意外で不思議だった。

何故そうだったのかとあらためて考えてみた。

それはきっと、私はまた必ず元気に動けるようになると信じていたし、わかっていたから。

元気に動けるに決まっている、自分の中の決定事項だった。

それくらい、知っていることだった。

 

この「何の根拠もないけれど自信満々」が起こるとき、未来の自分との交信がうまくいっているように思う。

そう、未来の自分が教えてくれるのだ。

そうなるとあとは、その未来に向かう今があるだけ。

簡単、シンプル。

自分に鞭打って何か頑張るのではなく、ただ、そこに行きたいからその方向に進むために今できる行動をとるだけ。

 

私の場合、筋力がつくのに思ったより時間がかかり、動けるようになるまでの期間の設定を自分の中で変更することは何度かあった。

それでも今、信じた未来のとおりに自由に動けるようになった!

嬉しい‼︎

 

そういうこと、あるよね?

未来の自分を信じていれば、やることは

「よくわからなくても、とりあえずやってみる。」だけ。

悩んだり落ち込んだりする必要がなくなる。

お勧めのやり方。

 

自分との交信に適した場所?!(飛騨金山の巨石群)

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