本当の望みを叶える
20年務めた職場を早期退職してから病気になるまでの数年間は
「どこでもドア持ってる?」
と言われるぐらい、あちこち飛び回るように活発に行動していた。
毎週末、東京に学びに行ったり、ハワイのリトリートに参加したり、香港で口座開設してみたり、屋久島には知り合いを巻き込みツアーを組んで2年間で5回行った。
九州も沖縄も私にとっては市内に出かけるのと同じ感覚の近所で、簡単に行ける気がした。
自由に行きたいところに行き、やりたいことができる日々はとても楽しく、充実していた。
「情熱を生きる」
「ワクワクすることにチャレンジする」
当時、それらを実践するのが幸せな生き方だと思い、そう意識して行動した。
お勤めしていた頃ほどの稼ぎがなくても、楽しむことが先だと思っていたし、実際、その時、その場でしかできない素晴らしい体験、経験がたくさんできた。
私の行動について、言い出したら決して意思を曲げない私の性格を知る家族からは、何も言われなかった。
家族を大事に思っていたけれど、自分のやりたいことを叶えることも大事だった。
夫は一応の家事はできるし、子供達も放っておいても飢え死にしない年齢になっているし、自分のことを重視したかった。
その頃の私は、いつも気持ちが家の外に向いていた。
掃除、洗濯、食事の支度、子供の学校関係など、家にいるときは、手抜きしたりサボったりしつつも一応はやっていたけれど、できればやりたくなかった。
家事が楽しくできればいいのに…と思っていたけれど、楽しめなかった。
あるときから体調が優れなくなり、季節が変わればそのうち良くなると思っていたが、少しずつ悪化していった。
以前に増して家のことをしなくなった私の様子を見て、夫は家事をするのが嫌で怠けていると思っているようだったが、いつからか挨拶と用事のやりとり以外の会話をしなくなっていた夫に、言い訳する気にはなれなかった。
ついには自宅で動けなくなり、意識をなくした私に気づいた夫が救急車を呼び、病院へ救急搬送。
1週間の意識不明の後、私は一命を取りとめた。
目が覚めたとき、夫は私の枕元で私に謝りながら泣きじゃくっていた。
普段は感情を表に出さず、父親の葬式でも涙を見せなかった夫のそんな姿は初めてで、意外だった。
そのときの私は全身が浮腫み、身体はどこも動かすことができない寝たきりで、気管挿管され 、透析をしなければ生きられない身体になっていた。
身体中、管で繋がれ、薬剤を点滴で大量に投与され続けた。
意識が戻って数日後のある朝、集中治療室で目覚めたとき、身体中どこも動かす、何一つできない自分がいることを認識したとき、
ふと、とても意外で、同時にとても確かで強い気持ちが湧いてきた。
「私は何もしなくていいんだ‼︎」
「全部やってもらえる‼︎」
「みんな私のことをみてくれる‼︎」
「女王様みたい‼︎」
「私が生きているだけでみんな喜んでいる‼︎」
「私は生きているだけでいいんだ‼︎」
「生きているだけでよかったんだ‼︎」
心の底から湧き上がるそれらは、だんだんと大きくなっていき、
私はかつて味わったことがないほどの喜びに包まれていた。
これまでの人生で最高の喜びを感じる出来事はいくつもあった。
ハワイの海の中でたくさんのイルカと泳いだとき、
屋久島の森で鹿とはち合わせたとき、
自分の子供を生み出したとき…
どれもこの上ない至福の体験だったが、それを遥かに上回る喜びを、全く身動きできない状態で感じたことは、とても意外だった。
しかし、これが本当の望みだったのだ‼︎
その証拠に、数ヶ月の寝たきり生活も、数々の不自由も、やりたくなかった透析も投薬も受け入れることができたし、何より長い寝たきりを含む入院生活の間、落ち込んだり悲観的になることが全くなかった。
死にかけたけれど、運良く死なないで大切なことに気付けた。
しかし、ここまでになるまで気づこうとしなかった自分。
もう2度と同じことはしたくないし、もうできない。
だからこそこれからは、常に自分の本望を知り、できる限り叶えようとして生きる。
自分自身を生かすために、無意識に自分の気持ちに蓋をしてしまわないよう、細心の注意を払うことを最優先に生きていく。
それは実際には、ほんの些細なこと。
例えば…
晩御飯に夫の好物を作ったが特に反応がないので「美味しかった?」と聞くと、「美味しかった。」と返答があった。
心の中で「こっちから聞く前に言ってほしい‼︎」と強く思っている自分。
長い間、思ったことを言い合えていない夫との関係性の中では、そんなことすら言葉にするのは、とても勇気がいる。
でも、勇気を持って言う‼︎
…って、それぐらいのことだったりする。
意識し大切にし実践するのは、そんな、ほんの小さな声。
常に注意深く耳を傾けていないと聞こえないほど繊細なその声は、一番叶えてあげないといけない私の望み。
健全に生きることを望むからには、こんなことを地道に丁寧に、ずっと続けて行くしかないのだ。
あちこち広範囲で行動することは変わらず大好きで、行きたい場所もたくさんある。
以前のように簡単ではなくなってしまったけれど、自由にどこへでも行っている自分の未来は確実に描いていて、諦めてはいない。
その前に今は、ちょっとしたお出かけでも、家の中でも、ありふれた日常の有り難みに気付くことが新鮮で、そのたびに幸せを感じることが格段に増えたので、いちいち味わっている。
そうできる今が、楽しいし嬉しい。