I am 〜わたしの生き方〜

患者になってわかったこと、日常での気づきなど

「重ね煮」を作る

お節料理を食べ尽くした後、今年初めて作った重ね煮。

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今日はハワイのお塩にしたら、とても甘くなった(味付けは鍋底と野菜の上に振る塩のみ)。

 

お正月の特別感から通常モードへの、ほどよい切り替え。

 

週一ペースで半年続いた一連の所作。

背筋を伸ばし野菜を切り進めるにつれて、内側の何かが整い、穏やかな気持ちになる。

火にかける前に野菜を重ねた鍋に手をかざし、唱えるオマジナイがまたいい。

 

「天地(あめつち)のお恵みとこれを創られた方のご愛念に感謝して料理させていただきます。この食べ物が私たちの体の中に入って、自他共にお役に立ちますように。ありがとうございます。」

 

感謝の気持ちが残る。

重ね煮を作る過程そのものが、瞑想になっているような気がする。

 

瞑想することを日課とし、瞑想的に生きたいと頑張っていた7、8年前には得られなかった境地。

 

今の気持ちは、瞑想はいいものだと思うけど、してもしなくてもいい。

 

 

今年の振り返り

去年の今頃は入院中でまだ歩けず、家族が付き添って車椅子での外出がようやく可能になった頃。

おかげさまで今は歩けるし、透析に通いながら普通の人っぽい生活できるようになった。

身体の回復を見守り続けた2019年は、私にとって「復活」の年だった。

 

「また今日も透析か〜」と思う日もあるけれど、今のところ受け入れて生きるしかない。

大好きだった旅行に行くことが、以前のように簡単ではないことをもどかしく思うこともあるけれど、大嫌いだった病院に週3で通い、できることなら飲みたくない薬を沢山身体に入れることも、今は受け入れている。

 

あたり前だったことが何一つ、あたり前ではなく有難いことだったと実感したことで、豊かで喜びに満ちる瞬間が多くなった。

何気ないことで幸せを感じる瞬間が嬉しい。

 

元気になるにつれて日常が戻り、その中に埋れてしまいそうにもなるけれど、命の恩人であり、ずっとサポートし続けてくれる夫に、とてもとても感謝している。

子供達、両親、妹達をはじめ、私の回復を見守り、ときに励ましてくれ、復活を共に喜んでくれた全ての方々に感謝でいっぱい。

 

欲を言い出したらキリがないけど…

「生きているだけでいい」と、体験から悟れたことは大きかったし、またこうして生きていられてよかった。

 

来年も身体と共に…

 

よいお年を。

 

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ドルフィン・マン / ジャック・マイヨール、蒼く深い海へ

ジャック・マイヨールのファンは必見‼︎

亡くなって丸18年、誰よりもイルカとお友達で、人懐こいキャラのジャックをまた見ることができて、自分自身のかつての海やイルカにまつわる思い出ともリンクして、懐かしさと同時に、くすぐったいような嬉しさも感じつつ、公開日翌日に鑑賞。


「ドルフィン・マン 」はドキュメンタリーなので、かつての映画「グラン・ブルー」をイメージしてしまうと、その雰囲気の違いに戸惑うかもしれない。

リュック・ベッソン監督の創り上げた世界は、美しく独創的で惹きこまれる素晴らしい作品だとあらためて思ったし、また見たくなった。

 

今回の映画は、過去の映像や関わってきた人々からジャックの人生が浮き彫りになっていくものだっただけに、グラン・ブルーで有名になった彼の最後が自死であることも含め、いろいろ考えさせられた。

 

監督の言葉に「フリーダイバーは真の思想者だ。水深150mの暗闇の中にいるためには、思想者にならざるをえない。」と書いてあった。

私の解釈だと、「思想者」と言うより「瞑想者」と言うのがしっくりくる。

可能な限り思考を停止させ、意識が覚醒することだけが、生身の人間が、この世とそれ以外の境界のない場所へと辿り着き、また戻って来れる唯一の手段なのではないかと。

 

キューバダイビングで垣間見るだけでも、言葉にならないほどの神聖さを感じる、荘厳で静謐な深い青の世界。

自らの一呼吸のみで何も持たず、より深海へ…

身震いするほどの魅力を感じずにはいられない。

10代か20代に出会っていたら、私もフリーダイビングにチャレンジしていたかもしれない。

 

誰もやったことのない、死と隣り合わせの冒険、自己探求の旅は生きる醍醐味。

自由に生き、孤独に死んでいったジャックの人生を見せてもらった。

見終わってスッキリする映画ではなく、むしろ自問自答が始まる。

 

ふと、海の中でイルカと目が合ったときに受け取った感覚が鮮明に蘇った。

「これからどう生きる?」

 

問いかけと同時に起こる安心感‼︎
時が止まり、イルカと私だけが海の空間に漂う瞬間‼︎

 

海の中でイルカに出会うときは必ず、私の人生の大きな転機と一致していた。

 

名古屋では、ミッドランドスクエアシネマ2にて15時〜の上映のみ、12/12まで。

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もう一回、1人で観てみたい…

クリムト展2019感想

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絵画鑑賞は私にとって「この人いいな、素敵だな」と思った人に会いに行くのと一緒の感覚。気に入った絵の前で対話するように向かい合い、全体を眺めたあと、細部の色使いや筆のタッチを素人なりに見ていると、優に100年前の作品が描かれた時代に誘われる気がして気持ちが高まる。

 

「ユディトI」

「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」

「女の三世代」

 

やはり、代表的な作品はどれも圧巻、素晴らしい。

また、絵だけでなく、額縁もクリムトがデザインしたというものがいくつもあり、どれも独創的で当然のことながら絵ともぴったり呼応して引き立て合っていて、とても美しい。

 

それにしても、クリムトは本当に女性が好きだったんだなぁ。

美しさ、優しさ、柔らかさ、だけでなく、生、老、病、死、強さ、残忍性まで…、あらゆる質を内在させている女性の持つ女神性が、それぞれの絵で見事に表現されていて、実物を見ると強く伝わってくるようで感動する。

 

また、ウイーン大学から依頼された天井画で2年後に提出した下絵が物議を醸し、結局ボツになってしまったという…「医学」「法学」「哲学」という3つの絵は、どれもその本質が表現されていて素晴らしく、美しいと感じた。

同時に、確かに一般受けはしないかも…とも。

特に「医学」がすごい。

 

さらに、三方向の巨大な壁画

「ベートーベン・フリーズ」

ベートーベン交響曲第九番に着想を得たこの作品を、音声ガイドで第九を聴きながら見ることができたのは贅沢な気分になれた。

私の父が合唱をやっていたので第九には子供の頃から馴染みがあったし、私自身も第九の合唱経験があるため思い出すこともあり、感慨深かった。

第九のストーリーをこんなに迫力ある美しい壁画で表現できるクリムトの才能は、本当に素晴らしいとつくづく思う。

 

美味しい食べ物を食べるとお腹いっぱいで満足するけれど、美しい絵をたくさん見たときも、それに近い、満ち足りた豊かさを得ることができる。

 

今後、これだけの作品が揃うチャンスはなかなかないらしい。

もうすぐ終わっちゃうけど(10/14まで)、良かったのでお薦め。

 

https://klimt2019.jp/

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気軽にお出かけ♪

休日、名古屋駅にお出かけ。

去年の今頃はまだ寝たきりだったのに、今はもう歩き回れる‼︎

他の人には当たり前のことが、1人で街に出ると特に感慨深い。

もうエレベーターやエスカレーターを探さなくても大丈夫なほど足腰もしっかりしたけれど、上りの階段でまだ人の流れより少し遅れをとった時、

「筋力が足りない!まだまだだなぁ〜!」

と思ってしまうけれど、すぐに

名駅を歩き回れることを去年どれだけ望んだことか!

ここまで回復できてよかった!

大変だったよね〜!

よく頑張った‼︎」

と心の中で自分に言ってあげる。

 

その時々の気持ちも含め、ここまで回復するまでの全てのプロセスを見届け、理解しているのは私自身だけだから。

 

一番わかって、ねぎらってあげられるのは私なのだ。

 

同時に、周りの方々の応援、励まし、願い、祈り、見守り…それらはすべて、私の生きる力となり、ここまで来られたと実感している。

本当に有り難い。

 

元気になって少し余裕が出てきたようで、

「私は今、何をすべきなのだろう?」とか

「何かできる仕事をした方がいいのではないか?」

など、かつての思いがリピートし始める。

すぐに答えは出ないけれど…

 

そのつど、死の淵から生還して寝たきりだったときに体験し深く実感した

「生きているだけでいい」

という真実に立ち返るところから、また始めていくしかない。

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大切な方々との再会と出会いと、元気になったお祝いをしていただくことが続いていて幸せ♡

 

 

 

細胞たちへの感謝

私は私という体の宿主、オーナー

 

私の体の細胞のひとつひとつは、いつでも私を生かすために働いてくれている

 

37兆個とも60兆個とも言われる細胞達は日々、瞬間瞬間、役割を終えて死に絶え、また新たな細胞が生まれるという循環を繰り返し続けている

 

一年前、倒れて意識不明になったあのとき

私はまだ生きたかった

 

宿主の私が死なないようにと細胞のひとつひとつは非常事態の中、意志を持って必死に全力で、役割を全うしてくれた

だからこそ、私は生きる続けることができ、再び生き直すことができている

 

ありがとう

ありがとう

ありがとう

 

彼らの死を悼み、再生を祝って花束を

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キッチンで氣付いたこと

台風10号接近中

 

何して過ごそう…

やろうと思ってなかなかできなかった重ね煮を作ろうと一念発起(←大袈裟)

 

重ね煮2種類とピクルス作って、ついでに野菜もまとめて茹でて、夕飯の下ごしらえも始め…気づいたら2時間以上キッチンに立っていた(さすがにちょっと腰にきたけど…)

 

つい2、3ヶ月前は、2、30分毎に疲れてソファに倒れ込んでいたので、体力ついて元気になって嬉しい

 

調理中、私はただただ目の前のことに集中し、段取りを頭で描いては、そのとおりに自分を動かした

 

今年の始めはまだ歩けなかった

だからこそ、思ったとおりに動けることが嬉しくて楽しくてたまらない‼︎

 

以前はそんなふうに思えなかった

 

家事の中でも料理は特に、私がやるべきこと、やらねばならないこと、やらないと誰もやってくれない…という思いが、毎食真面目に作っているわけではなくても、そういう気持ちがどこかあった

 

そんなとき、夫が近くで呑気にゲームなどしていると、妙にムカついた

 

しかし、今日も夫はソファに寝そべり、テレビ見てゲームして昼寝していたけれど、全く心がザワつかない‼︎

私はただ、目の前の自分の作業を楽しんでいるだけ…

 

やっとそうできるようになった

これも数ヶ月の寝たきり生活のおかげ

やはり後にいかされる貴重な体験だった…

 

「よかったね」って、自分にヨシヨシしてあげよう

 

夏野菜の重ね煮(ラタトゥイユ風)

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基本の重ね煮(しいたけの代わりにエノキで)

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ちょっと焦がしちゃった